家族の死が教えてくれたもの
〜「価格」ではなく「健康」を選び続けた男が地方スーパーを唯一無二の存在へ変えた物語〜
父を亡くし、兄を亡くした。身近な家族との別れを経験した一人の経営者は、「人生で本当に大切なものは何か」を考え続けた。
そして辿り着いた答えは、「健康な身体を保つこと」。売上や価格競争を追い求めるのではなく、健康的な食生活を提案するスーパーをつくりたい。周囲の反対を押し切り、食品添加物の削減という前例のない挑戦に踏み出した。
山梨県を代表するローカルスーパー「いちやまマート」を築き上げた、株式会社いちやまマート 代表取締役社長 三科雅嗣さんの軌跡。
※本記事は公開情報をもとに構成しています。

ストーリー
大学卒業後、東京の商社へ入社。3年間勤務した後、故郷へ戻り、父が創業した食品スーパーへ入社した。当時はいくつかの店舗を展開する地域密着型のスーパー。
毎日必死に売上を追いかける日々だった。
やがて父が55歳で他界。兄とともに会社を引き継ぐことになる。

父の死を乗り越えようとしていた矢先、今度は兄が46歳の若さで亡くなった。
あまりにも早すぎる別れだった。身近な家族の死を通じて、三科さんは深く考えるようになる。人生において本当に大切なものは何か。お金なのか。地位なのか。売上なのか。
考え続けた末に辿り着いた答えは、「健康な身体があってこその人生」だった。
健康的な食生活を提案するスーパーをつくりたい。そう決意した三科さんは独学で勉強を始める。本を読み漁り、講演会へ足を運ぶ。しかし何から手を付ければいいのか分からない。
そこで専門家へ相談すると、一つの提案を受ける。「全部の食品添加物をなくすのは難しい。まずは合成着色料から始めてみてはどうですか」三科さんは即座に決断した。
合成着色料の完全撤廃である。
売り場から合成着色料を使用した商品をなくす。すると子ども向けのカラフルなお菓子の多くが販売できなくなる。当然、社内は大混乱だった。「売上が落ちる」「お客様が離れる」社員からは反対の声が相次ぐ。
それでも三科さんは決断を曲げなかった。会議室に全社員を集めて宣言する。「半年後に新聞広告を出す」そして半年後。地元紙に全面広告を掲載した。
そこには大きくこう書かれていた。「タール系色素 完全撤廃」さらに続けて、「もし売り場で該当商品を見つけた方には商品券1万円分を贈呈します」社長の本気度を知った社員たちは動き始めた。

売り場から対象商品を徹底的に排除する。代替商品を探しては導入する。その作業は果てしなく続いた。同業者からは冷ややかな声も浴びせられる。「そんなことをしても売上にはならない」「自己満足だ」それでも三科さんは信念を曲げなかった。健康を軸にしたスーパーづくりを続けた。
やがて三科さんの想いに共感する企業が現れ始める。ある時、大手食品メーカーへ依頼した。「合成着色料を使わない魚肉ソーセージを作ってほしい」しかし返事は断りだった。
前例がない。採算も合わない。当然の反応だった。ところがメーカー担当者が社内で動いてくれた。
最終的には上層部から、「これからの時代は必ず健康志向になる」「作ってあげようじゃないか」という決断が下される。こうして一地方スーパーのために、合成着色料を使わない魚肉ソーセージが誕生した。
その後も無添加食品、オーガニック野菜、グルテンフリー商品などを積極的に導入。健康志向の商品が集まるスーパーとして独自のポジションを確立していく。
さらに独自開発したPB「美味安心シリーズ」は全国60社以上のスーパーで取り扱われるまでに成長した。経営理念は、「価格は一瞬、健康は一生」現在、いちやまマートは山梨県を中心に15店舗を展開。売上高258億円を誇る企業へと成長している。
価格競争ではなく、健康という価値を届け続けた挑戦は、多くの支持を集める唯一無二のスーパーマーケットを生み出した。

大切な人の死を使命に変えた
家族との別れを経験したからこそ、「健康」という人生の本質的な価値に辿り着いた。
売上より理念を選んだ
反対や批判を受けながらも、目先の利益ではなく信念を優先した。
一企業の挑戦が業界を動かした
地方スーパーの取り組みがメーカーを動かし、全国へ広がる新しい価値を生み出した。
企業情報
| 企業名 | 株式会社いちやまマート |
| 代表取締役社長 | 三科雅嗣 |
| 所在地 | 山梨県中央市若宮50-1 |
| 創業 | 1964年 |
| 事業内容 | スーパーマーケット事業 |
| 公式サイト | https://www.ichiyamamart.co.jp/ |
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出典・参考
- 株式会社いちやまマート 公式サイト
- TV番組「カンブリア宮殿」


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