無名の下請け町工場から”世界が認めるブランド”へ
〜家族と社員を信じ、挑戦し続けた男の物語〜
老舗鋳物工場の一人娘と結婚し、鋳物の知識ゼロから家業を継いだ男。
「働きたくない」と言われた現実にショックを受け、下請けからの脱却とオリジナル製品開発に挑む。
幾多の失敗と試行錯誤を経て、世界が認めるブランドへと成長させた株式会社能作 代表取締役会長・能作 克治さんの軌跡。
※本記事は公開情報をもとに構成しています。

ストーリー
大阪芸術大学を卒業後、カメラマンとしてキャリアをスタートさせた能作克治さん。人生の転機は、老舗鋳物工場の一人娘との結婚だった。鋳物の「い」の字も知らないまま現場に立つことになったが、職人たちの技と素材の奥深さに触れるうち、いつしか仕事にのめり込んでいった。

ある日、工場見学に訪れた親子の会話が耳に飛び込んできた。「あんた勉強しなかったら、あんな仕事に就くことになるのよ――」
その言葉は大きなショックだった。400年の歴史を誇る伝統産業が、誇りではなく「なりたくない仕事」として語られる現実。このままではいけない――そんな思いが、次の挑戦への原動力となった。

「下請け仕事ではなく、優れた自社製品を作らねば。」大学時代に学んだデザインの知識を武器に、オリジナル製品づくりに着手。第一号として生み出した商品は「ベル」だった。しかし現実は厳しく、ほとんど売れずに終わった。

転機をもたらしたのは、店頭に立つ販売員からのひと言だった。「売れないけど、音がとてもきれいでスタイリッシュ。風鈴にしてみたらどうですか?」
この声を逃さず、すぐに試作へ。ベルは風鈴へと生まれ変わった。それまでの販売数30本を大きく上回り、わずか3カ月で3,000本のヒット商品になった。

「もっと身近な商品はないですか?」というお客様の声から、食器開発へのチャレンジが始まった。
素材として選んだのは、衛生的に優れ、口当たりもやわらかな「錫(すず)」。
しかし、錫100%での鋳造は世界に前例がなく、職人たちからは「無理! 無理!」の声が相次いだ。何度も試作を重ね、試行錯誤を繰り返した末に、ついに世界初の錫100%鋳造を実現した。

百貨店での実演販売は大盛況となり、テレビ番組でも次々と取り上げられた。そして、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の販売店にも認定。
無名の下請け町工場は、今や世界が認めるブランドへと進化を遂げた。

2017年、400年の歴史を誇る鋳物の街・高岡市に本社工場を新設。見学ツアーのできる施設として、子どもたちに職人の姿を伝える取り組みを始めた。
今では「小学校5年生の時に見学に来て『働いてみたい』と思い入社した」という社員も生まれている。
かつて「働きたくない」と言われた工場が、いつしか「働きたい会社」に変わっていた。

現場の「声」を価値に変えた
販売員やお客様の声をヒントにヒット商品を生み出した。
不可能を可能にした現場力と執念
前例の無いことに挑み、職人とともに技術の限界を超えた。
「働きたくない」から「働きたい」へ
会社の未来を作るのは、人の心を動かすストーリーだった。
企業情報
| 企業名 | 株式会社能作 |
| 代表取締役会長 | 能作 克治 |
| 所在地 | 富山県高岡市オフィスパーク8-1 |
| 創業 | 1916年(大正5年) |
| 事業内容 | 鋳物製品の製造・販売 |
| 公式サイト | https://www.nousaku.co.jp/ |
関連投稿
出典・参考
- 株式会社能作 公式サイト
- TV番組「カンブリア宮殿」
- 一般社団法人 富山県西部観光社 水と匠 インタビュー記事
- 富山県高岡市 広報資料 など


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